新原歯科医院

院長ブログ

科学の進歩

長年こつこつと基礎研究を重ねてきた研究者たちの努力と、少々の運、試行錯誤、失敗の繰り返し等、多くの人々の業績の積み重ねによって科学は進歩、発展して来ました。

 

学生時代にレポート提出に悩まされた経験を持つかたは多いと思います。論文の始めに基礎的なこと、現時点まで知られている事の説明をするときには、誰が書いても似たような記述になります。

 

少々文体を変えて、等よくやります。完全に引用してしまえば済むことでもありますが・・・。昔使ったデータを引用することもあります。論文のどこに使ったかによっては少々困ることもありますが、問題ないこともあります。

 

学生気分の残った未熟な研究者がいくつかミスをおかしたとしても、根幹である「発見をした」ということが「事実」であれば、そのミスが発見を揺るがすことはありません。

 

歴史的な発見だからこそ、細かくチェックされましすが、これほど注目されない研究ならば、たまには(?)同じようなミスを含んだ論文も出されている可能性はあります。

 

追試を正確に行った結果、もしも再現性が認められなかったとしても、それならばなぜ偶発的にそのような現象が起きたのかということは世界中の研究者の課題になります(発見が事実なら)。いつか正しい理由を明らかに出来るときが来るでしょう。

 

今騒がれているケースでも、数か月後には追試の結果が出るはずです。どういう結果になるのか期待しています。たとえ良い結果がでなくとも、その失敗は無駄にはならないのです。

 

本来論文が発表された時点ではそれが正しいかどうか解りません。多くの人に精査され、追試が行われ、それから本当の評価がでるものです。

 

少し騒ぎすぎ、持ち上げ過ぎていた方々が手のひらを返したかのように徹底的にたたき続けているように見えます。

 

初期の報道で若い研究者の周りの人からの取材をもとに、その人がすごい努力家で才能ある科学者であるということを私たちは知りました。これは紛れもない事実なのでしょう。

 

才能ある研究者は人類の宝です。私たちには出来ないことをしてくれます。その人たちの努力無くしては科学の進歩はないのです。

 

その若い芽をよってたかって踏み潰すことに何か建設的、発展的な意味はあるのでしょうか?憔悴した若い科学者をなんとか引っ張り出してさらし者にしようとする意地の悪い魂胆が見え隠れしています。

 

報道と言う蓑に隠れたペンの暴力によるいじめと思われないように、節度と品のある、配慮をもった報道をして頂きたいと思うのは間違いでしょうか?

 

先日、横綱日馬富士が研究者を擁護する発言をしました。彼だから許されるんだろうなぁ・・・。普通のひとが言ったらその人まで叩かれそうな雰囲気になって来ているように感じます。

 

ハーバードの元指導教員でもあり、共同研究者の方の発言は興味あるものでした。「いくつかのミステークは発見の根幹を揺るがせるものではない。ある圧力によって論文を撤回するべきではない。」と、いうものです。

 

科学の発展と進歩を妨げないようにしたいものです。それが人類の進歩の礎になり、私たちの生活を豊かにしてくれるものだからです。

 

 

  カテゴリ:サイエンスの話, 日々のこと

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